ウイスキーが薬代わり!?シニアNO・1は台湾勢に
 

週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 2017/10/17号
2017/10/10更新

ウイスキーが薬代わり!?シニア
NO・1は台湾勢に

  今年のシニアナンバーワンを決める日本プロシニアは、台湾の蘆ロ 建ケンジュン順に凱歌があがったが、かつて台湾勢といえば日本ゴルフ界を席巻したこともあった。

日本プロシニアを制した蘆建順

 蘆は淡水GC(現台湾GC)出身で、台湾ツアーで40勝以上を挙げ1983年に初来日、87年まで毎年16試合ほど出ていたが目立った成績は残していない。98年からは重篤な腰痛のため、7年間一度もクラブを振っていないという。しかも、その腰痛の"痛み止め"として年間1000本ものウイスキーを飲み、それが現在の復活につながったというのだ。

 「もしあの時、痛み止めの薬を飲んでいたら体はボロボロになっていただろう。病院にいったら手術されたかもしれないしね。あれだけ酒を飲んだが、肝臓はどうもなかったよ」と蘆は笑う。その後、米チャンピオンズツアーへの参戦経験もある。

 蘆の師匠は日本ツアー11勝の謝敏男。謝も淡水GC出身だ。

 同コースは日本統治時代に造成され、そこで育ったプロは日本へ大挙押しかけることになる。嚆矢となったのは台湾プロ第一号、陳清水。当時日本ゴルフ協会・副会長の野村駿吉に誘われ来日し、日本オープン、日本プロに勝利し、川奈ホテルに所属。陳を頼って、林萬福、陳清波(ツアー24勝)、陳金獅らが来日。1970年代になると、謝永郁、呂良煥、郭吉雄、前述の謝敏男、許勝三らが来日。日本ツアーで一大勢力となった。80年代になると呂西均、蘆、涂阿玉、陳志明・陳志忠兄弟(林口GC出身)が続々と来日。とくに涂は歴代1位タイの69勝を挙げて7回の賞金女王となり、涂時代を築いた。現在、男女を通じて外国人選手唯一の永久シード保持者。今、世界で活躍しているヤニ・ツェン、日本女子ツアーでのテレサー・ルーも台湾ゴルフ系譜の継承者である。

 
【関連記事】こちらも注目です!
2010/07/02台湾選手がひさびさにチャレンジツアーで大活躍
2016/10/14 神ってる?下剋上?13位から逆転勝利した"台湾の星"
2017/03/05 日本の殿堂、今年は河野高明、清元登子ら6人決定

一覧へ戻る


バックナンバー

最新号はこちら

週刊ゴルフダイジェスト最新号

アクセスランキング

  • 月刊GD
  • チョイス
  • みんなのゴルフダイジェスト