3つの顔を持つ男、金田武明の功績とは……
 

週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 2018/10/09号
2018/10/02更新

3つの顔を持つ男、
金田武明の功績とは……

 超高速グリーンで知られるカレドニアンGC(千葉県)で今月末、13回忌を迎えた「金田武明を偲ぶ会」が行われる。金田武明をご存知ないという向きに説明すると……。

 「金田氏にはここを造成する時、相談に乗ってもらい、設計者のマイケル・ポーレットを紹介もして頂きました。恩人の一人です」(同GC広報)

 実はその金田には“3つの顔"があった。金田は1931年東京生まれ。早稲田大学ゴルフ部出身で、大学卒業後、米国留学(オハイオ州立大学、メリーランド大学院)。1960年、関東アマ優勝、中部銀次郎らと世界アマ代表にも選出された。相模CC、霞ヶ関CCの会員であり、相模ではクラブチャンピオンにもなっている。これが競技者としての顔。

 2つ目の顔はゴルフジャーナリストとしてのそれだ。米国スポーツイラストレイテッド誌極東代表を長く務め、アジアの情報を米本土に送った。むろん米国からの情報も“輸入している。帝王ジャック・ニクラスとも親しく、来日した折にはNHKテキスト解説もしている。解説といえば1966年、カナダカップ(東京よみうりGC)も金田によるもの。ゴルフ著書、プロデュース、訳書も入れれば30冊に及ぶ。後年、日経に掲載された「ごるふ・さろん」は人気エッセイだった。

 3つ目の顔はコース設計者として。メイプルCCでは世界の名ホールを随所に再現し18ホールを構成した。ほか、シェイクスピアCC、古河GLなど、監修含め6カ所。ゴルフコース設計者協会2代目会長にも就任。

 オハイオ州立大の後輩、現設計者協会・6代目会長の川田太三は「ゴルフジャーナリズムでは米国の情報をいち早く日本に紹介し、コース設計でも米国の常識である1グリーン制をとりあげています。米国ゴルフ事情を日本でいちばん最初に知悉した人だったですね」

 2006年、75歳で没。日本ゴルフ界に米国“文化"をとりあげ、功のあった人だったといえるだろう。

  

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