70以上を手がける。コース設計の"革命児"加藤俊輔氏逝く
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2018/05/22号
2018/06/15更新

70以上を手がける。コース設計の"革命児"
加藤俊輔氏逝く

 ゴルフコース設計の分野で一時代を築いた重鎮、加藤俊輔氏が世を去った。

氏は1933年(昭和8年)生まれ。日大工学部卒業後、熊谷組、太平洋クラブ設計部に所属した。そのときに太平洋クラブ御殿場コース設計に参画している。86年、独立してカトーインターナショナルデザインを設立。93年には日本ゴルフコース設計者協会を設立、初代理事長に就任した。

80年代、未曾有のゴルフ場造成ラッシュもあり、コース設計のトップをひた走り、一躍時代の寵児となった。手がけたコースは全国に70以上。代表作はJFE瀬戸内海GC、伊豆GC(現伊豆ハイツGC)、江南CC(現太平洋クラブ江南C)など。多くはバブル時代に造成されたこともあり、経営破綻の後に名前が変わったコースも多い。

氏は自然(借景)を活かしながらその土地の風土になじませたリンクススタイルを得意とした。このスタイルはそれまでの赤星四郎・六郎兄弟、井上誠一、上田治らのクラシックスタイルを一変させた。林間コース、丘陵コースの定型を打ち破ったといってもいい。また距離こそスコアメークの最大要素という概念から、英国のリンクスの"おもしろさ"を随所に採りいれたコースもある。要はその土地になじんだスケールの大きい"変化"を造型したのだ。

人によっては「鬼面人を驚かす」と批判する人もいたが、変化しなければ70ものコースの要請に応じられなかっただろう。

昭和の達人がまた一人逝った。合掌。(編集委員・古川正則)

 
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