巨星墜つ!60年代“ビッグ1”、ビリー・キャスパーってどんな人?
 

週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 2015/2/24号
2015/2/17更新

巨星墜つ!60年代“ビッグ1”
ビリー・キャスパーってどんな人?

 黒人に米ツアーの門戸を開いたチャーリー・シフォードに続いて、同じ60年代に“ビッグ1”ともいえる活躍をしたビリー・キャスパーが死去した。

 1931年カリフォルニア州サンディエゴに生まれ、ノートルダム大学卒業とほぼ同時にプロ入り。その2年後に初優勝。5年後の59年には全米オープンで初のメジャー制覇。その時のパット数114ストロークは断トツの1位だったため、「パットの名手」という称号がついた。

 パットの極意は「外すならさっさと外せ」で、思い切りがよく、右手コックでバックスウィングし、ダウンではその右手のコックをほどいてフェースをまっすぐ出すというもの。

 2回目のメジャー獲得も66 年の全米オープン。最終日、当時の国民的ヒーロー、7打差をつけていたアーノルド・パーマーに追いつき、次の日のプレーオフではバック9で2打差を逆転しての劇的勝利だった。その時代、パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤーのビッグ3の全盛。

「向こうがビッグ3なら(パーマーを破った)おれはビッグ1だろう」とキャスパーは苦笑いした。

 その後も70年にはマスターズを制し、ツアーで51勝(歴代7位)、16年連続優勝、賞金王にも2回(66、68年)、平均ストローク最少・バードントロフィにも5回輝いているが、ビッグ3ほどの華やかさはなかった。78年殿堂入り。

 ニクラスは「ビルはもっと評価されてしかるべきだ。試合でも私はビルの順位がどこか常に気にしていた」と悼んだ。ある時には「(人間的に)ビルの信頼ほど、私はまだ信頼されていない」とリスペクトしている。

「クソがつくほどの真面目人間。敬虔なモルモン教徒で酒もタバコもコーヒーも飲まない。プロフェッショナルとしてアピールに欠けることが、記録ほど評価されない原因でしょう」(ゴルフ評論家・岩田禎夫氏)

 太鼓腹でダウンからフォローにかけて右足を左足に寄せるスウィングが特徴で、同じモルモン教徒のジョニー・ミラーらと来日してその高度な技術を日本のファンの前に披露している。

 家庭を大事にして、6人の養子を含む11人の子供をもち71人の孫、ひ孫に囲まれて余生を送った。享年83。合掌。

 
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