箱根のゴルフが100年を迎えた
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2015/1/27号
2015/1/20更新

箱根のゴルフが
100年を迎えた

 ゴルフリゾート地のひとつ箱根のゴルフ史はちょうど100年を迎える。その第1号は、1915年開場の富士屋ホテル仙石ゴルフコース(正式には富士屋ホテル仙石別館・仙石ゴルフコース)。もう一方の名門、箱根CCは61年前だった。

開場当時の全景写真

 仙石GCを建設したのは山口仙之助。慶應義塾に学び、卒業後は実業家として箱根に注目した。渡米経験のある山口は、来日する外国人憧憬の的は豊富な温泉、雄大な富士の景観、しかも東京・横浜から1日で行ける至便に目をつけたのだ。

 その頃の箱根は家業を継いだ湯宿主が近代化脱皮に苦慮していた。そうしたなか、1915年、外国人専用の富士屋ホテルを創設。小田原征伐の豊臣秀吉も泊まったという500年の歴史を持つ藤屋旅館を買収した。箱根振興のためにはゴルフ場も必要と、莫大な建設費用を捻出するため「箱根ゴルフ及び猟銃クラブ」設立。東京GC・駒沢コースを設計したT・E・コルチェスターに設計を依頼。神奈川県から3千万円の補助金も出た。その年に山口は没したが、一族後継者により遺志は貫かれた。

 1917年、7ホール完成時には、宮ノ下御用邸滞在中の皇太子(昭和天皇)が毎週プレーしている。この間、工事は中止し、その年12月に9ホール完成。35年、赤星四郎の設計により、18ホールが竣工した。会員入会金30円。グリーンフィ1日1円50銭の時代だ。

 終戦間近、クラブハウスをヒットラーユーゲント訓練のため独逸協会に貸与されていたことは秘話。戦時中は開墾され、グライダーの練習に使われたがコースの大部分は残った。終戦後、ホテル・ゴルフ場とも米軍が接収。マッカーサー夫人、アイゼンハワー元帥など訪れている。

 1952年、講和条約締結後、6年5カ月続いた接収にピリオド。その年の3月よりパブリックとして自由営業を開始し、箱根のゴルフの歴史がスタートした。

 
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