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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 2/19号
2008/2/7更新
本間家のDNA受け継ぐ三男が
立ち上げた新クラブってどんなもの

 本間敬啓氏と裕朗氏の兄弟が、現在の本間ゴルフの前身となるゴルフ練習場を横浜市鶴見区に開業してから50周年を迎える今年。次男・裕朗氏の「ケンタック(デザインド・バイ・本間裕朗)」に続いて三男・睦(むつみ)氏が手がける「ムツミ・ホンマ」ブランドのクラブが登場する。


本間のDNA我れにあり!
ムツミ・ホンマMH280X


 開発者・裕朗氏の名前をとったパーシモンドライバー「ヒロ・ホンマ」は、当時の高級車になぞらえて「いつかはホンマ」といわれるなどゴルファーの憧れの的となり、本間ゴルフを自他共に認めるトップブランドに押し上げた。

 しかし、その自負が仇となり、ステンレスやチタンヘッドへの転換に乗り遅れ、またゴルフ場への投資の失敗などもたたって、会社更生法の適用を受けた本間ゴルフは、06年に創業者一族の手を離れた。

 新生本間ゴルフは、「ベレス」や「アスポート」などの新ブランドを中核に据え、かつての高級志向から路線を変更し、若年ゴルファーを取り込むことで業績を伸ばしている。

 開発一筋で歩んできた裕朗氏は、01年に脱税で逮捕された兄・敬啓氏を継いで社長職に就いたが、敬啓氏の長男・秀一氏の求めで04年には代表権のない会長に退いた。

 また、裕朗氏と9歳離れた三男・睦氏は2人の兄の陰に隠れた存在だったが、日大ゴルフ部でゴルフの技術を磨いた後、本間ゴルフ製作所に入ってクラブ設計を学んでいる。

 同社専務を務めた後01年に退職。その後、大阪市の練習場に工房を開いた。

 裕朗氏は敬啓氏の在任中は経営にはタッチせず、また睦氏も西日本の営業責任者を務めたが、ワンマン経営者として振る舞った敬啓氏と違って職人肌。

 会社そのものより自分たちが育ててきたブランドの特色が失われていくことに寂しさを感じていたに違いない。

「ケンタック」と「ムツミ・ホンマ」は現代のクラブに求められる機能は備えながらも、トラディショナルな形状やゴールドのコスメティックなどニッチなゴルファーに訴求する物作りをコンセプトとしている。

「ケンタック」は今月下旬のジャパンゴルフフェアでお披露目される。

 一方、「ムツミ・ホンマ」は海外での前評判が高く、今月から日本、アメリカ西海岸、シンガポール・マレーシア・インドネシア、香港・中国・台湾、韓国の5地域で、ユーティリティ『MH280X』の販売が決まっている。

 いずれも従来から本間ブランドを高く評価する代理店が手を挙げており、販売本数もこれら5地域でほぼ同じ割合になると見込んでいる。

「ユーティリティは試作段階で意見交換しましたが、あとのクラブは見せなくてもいいからとにかく早く作ってといわれています」(ムツミ・ホンマゴルフ事業部・桜井晃氏)と各国のバイヤーからは、以前の「ホンマ」のように高額なセットで売れる商材として期待されている。

 同社では、順次パター、ウェッジ、ドライバー、アイアンを発売する計画だが、慌てて商売を拡大するつもりはないということだ。

「何年かかるかわかりませんが、面白いクラブを作っていると認めてもらえればいい。本間ゴルフが練習場からスタートしたようにわれわれも練習場の工房からの再出発。いわば原点からのスタートです。そしていつか本間ゴルフを追い越したいですね」(桜井氏)

 ちなみに、本家の血筋を引く二人が「本間(ホンマ)」の名を冠するブランドを立ち上げたことで、お家騒動再燃かと色めきたつ向きもあるが、「本間クラシック」なる会社を設立し本間ゴルフ社員の引き抜きまで画策した秀一氏のケースとは明らかに事情が違っており、本間ゴルフでも「とくにコメントすることもない」と静観の構えを見せている。

 それよりも会社を離れた両氏が、自由な立場でどんなクラブを作り上げるか、ホンマファンでなくとも楽しみだ。

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