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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 1/20号
2004年更新
大型チェーン店の価格競争の波に押され
老舗の「銀座ゴルフ」が73年の歴史に幕
 昨年、暮れも押し迫った12月27日、老舗ショップ「銀座ゴルフ」が73年の歴史に幕を閉じた。商業の中心地・銀座に昭和5年(1930年)に創業した同店は、日本のゴルフ界の隆盛を支えたショップでもあった。その廃業の背景には、大衆化とともにクラブの市場構造が激変したという、抗うことのできない時代の波があった。

 銀座ゴルフは大正期に英国ロンドンで日本料理店を営んでいた先代が、帰国後、英国で知り合った商社員などのすすめで、昭和5年にビリヤードやミニ・ボウリングといった遊戯施設と併設で、中古クラブショップとして創業した。 「たぶん、日本で一番初めに開業したゴルフショップだと思います」と2代目の河村正次社長(74歳)は語る。その後、間を置かず誕生したマツダゴルフ、アリガゴルフと並んで業界では「御三家」と呼ばれ、老舗として確かな名声と実績を誇ってきた。

 67年には7階建てのビルを建設。インドアだった練習場を屋上に開設。同じ頃、ケネス・スミスの輸入代理店となり、また上客を抱える周辺の百貨店への卸でも業績を伸ばしてきた。

「場所柄、戦後しばらくは岸信介総理を始めとする政財界人や、石川達三、丹羽文雄といった文士、芸能人など、たくさんの著名人がいらっしゃいました。皆さん個性の強い人が多くて、クラブ選びには一様にうるさかったですね」(河村社長)と当時を振り返る。

 実際、年配の著名人に昔話を聞くと、銀座ゴルフの名が頻出する。ちなみに同店の練習場には、著名人の練習に備え、本人に代わってボールをティアップする女性従業員が控えていたそうだ。客筋がそれゆえ、同店も一人一人時間をかけての対面販売を商売の基本に、今日まで高級品を中心に販売してきた。

 ところが、70年代前半の第2次ゴルフブームを経て、ゴルフの大衆化が一気に進むと、客層も一変した。それまでウィンドウ越しに店内をのぞいていたサラリーマンだけでなく、場所柄から若いホステスの姿も……。そして、周囲に均質で大量生産される低価格クラブが溢れるようになると、一般のクラブ選びはまず価格が重視されるようになった。

 そこにはもはや、「銀座で買うことのステータス」も、「店員と対面であれやこれやと相談しながら選ぶ喜び」も価値が失われてしまったと、河村社長は諦め切ったような表情で語る。

 同じ銀座で、76年から会員権仲介業を営んでいる大久保貢氏(現代ゴルフサービス社長)も、「銀座ゴルフさんには、私がこの業界に入った63年ごろから顔を出していますが、時代の流れとはいえ寂しいですね」と前置きしたうえで、「昔は、クラブを買うこと、それも銀座で買うことは、一緒に“高いステータス”も買うことでした。一般にそうした意識がなくなったのが、廃業に至った一番の原因じゃないでしょうか」と分析する。

 大衆化が進んだゴルファーは、大型量販店へ、中古ショップへ、そしてネットショップへと流れていった。そのなかで銀座ゴルフは、2~3年前から赤字決算を強いられるようになった。そこでコンサルタントに相談し、業態の一新も検討した。

 だが、河村社長は「安売り競争をやっても、いずれはダメになる」と判断した。銀座という土地柄に合わないし、常連の顧客が離れる。第一、社長自身が「価格だけが勝負」の売り方に頭を切り替えることができないというのだった。

 今後は、自社ビルの貸しビル業で悠悠自適と笑う一方で、「やめると知ったら、全国から古くからのお馴染みさんが大勢来てくれました。それで『やめるなよ』と言われると、またやろうかなと思ったりして……」と、語る河村社長の表情には、やはり寂しさが漂っていた。

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