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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 1/8・15号
2008/12/27更新
横田真一、財界との橋渡しでがんばり
チャレンジツアーでもがんばった

 横田真一は06年に95年から守り続けたシード権を喪失。直後に日本プロゴルフツアー機構(JGTO)は「著しい功績者に特別シード権を与える」ことを急遽発表し横田を第一号に。横田は一旦は受諾したが即日これを撤回。皮肉にもこの騒動で横田の選手会長時代の“功績の大きさ”が浮き彫りに。横田はは07年にチャレンジツアーで2勝を挙げ、また選手会長時代の著しい功績は08年3つの新規試合の形となって結実した。横田にことの真相をインタビューした。

――一番苦しかった時期は。

横田/ 再起を期した06年12月に中耳炎が悪化し乳突洞炎になり最近までフラつく後遺症が残り、翌年3月にゴルフ場で人の打球が頬骨を直撃、何で俺ばっか……と。

 自身の開幕戦のプロギアカップで予選落ち。チャレンジは高校2年から出ていて予選落ちは初。つるやオープンも予選落ちで正直、終わったな、と。

――そこからどう巻き返しを。

横田/ スウィングは内籐雄士コーチについて改造をした。感性のゴルフの自分には合ってないと思ったが、殻を破るため挑戦した。

 器具を着ける練習は最初は苦手だったが今は納得、(片山)晋呉が器具を使う気持ちが良く分かった。

 その後、チャレンジで2勝し、レギュラーでもツアー選手権以降予選落ちもなく、結果として現れた。肉体的にも中井謹蔵さんに週2回家に来てもらい、筋トレをした。

――会長時代に奥田碩(ひろし)トヨタ自動車会長のツアー機構理事就任のため尽力。08年はレクサスの新試合も開催され努力が結実した。

横田/ 自分1人でやったことではないし、今までもあまり言いたくなかった。経緯だけを話すと、最初に奥田会長とお会いしたのは2000年で丸山(茂樹)さんと片山康さんの紹介で。

 丸山さんが米国に行った後も、中日クラウンズの時などに、深堀(圭一郎)さんや久保谷(健一)、(横尾)要などと一緒に食事にお誘いいただいた。その後、男子ツアーが低迷期に入り、奥田会長も自分も残念に思っている、何でもお手伝いしますとおっしゃっていただけた。

 僕が会長になった時その言葉を現実のものとしたいと思った。決意と誠意をお見せしようと思い杉原さん、青木(功)さん、ジャンボさんなども含め選手の嘆願書を用意した。さらに、現在4パーセントのトップオフ(賞金からの“上納金”的なもの)を7パーセントまで上げ、その中から1億円を資金としてJGTOの活性化のチームを作る案も用意した。

――奥田会長の反応は。

横田/ とにかく1年間勉強のためにJGTOに入らしてもらいますと。その後、いろいろ尽力していただいた。

 試合増もレクサス、松下、キャノンというナショナルブランドがついてくれたことは奥田会長の影響だと思う。

――自身は?

横田/ 今は自信が漲っている。08年はやれる!

 選手としても、またツアーを本当に改革できる人材としても、横田は得がたい人物である。

 08年の本格復帰に期待しよう。

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