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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 8/7号
2007/7/26更新
バーニングアウト? セベ・バレステロスが
50歳でツアーから引退

 セベ・バレステロス(50歳)が引退を表明した。カーヌスティで行われている全英オープンの勝敗にゴルフファンの目が向く中、セベがそのカーヌスティの会場を借りて、競技ゴルフからの引退を発表したのだ。


84年セントアンドリュースでの
全英優勝など世界87勝と活躍したセベ

 最近のゴルフファンには、セベ・バレステロスの名前を知らない向きもいるかもしれないが、セベは、70年代から80年代にかけて、世界のゴルフ界を駆け抜けた名手だ。

 1974年、スペインでは最年少の16歳と8カ月でプロ転向。

 その年に25歳以下のプロの試合で優勝し、翌75年のカーヌスティで開催された全英に初挑戦。

 ただ、セベの名前を世界に知らしめたのは76年の全英で、初日、日本の鈴木規夫とともに69を出して注目を集め、4日間終始リーダーボードに名を連ねた。

 結局、最終日最終組で一緒にラウンドしたジョニー・ミラーに敗れたものの、ジャック・二クラスと並ぶ2位タイの成績。

 その後、全英では、79年、84年、88年に優勝、80年、83年のマスターズを含めてメジャー5勝。

 日本では77年(20歳)、78年の日本オープン連勝がよく知られているが、世界で通算87勝という記録を残している。

 ただ、記録を見ても分かるように、バレステロスの全盛期は、20代で、特に30代の後半からの15年間は、腰の故障もあったが、なによりバーンアウト(燃え尽き)したのではないかともささやかれてもいた。

 実際、本人も「10代の頃は、朝から晩まで、持てる力をすべてゴルフにささげていた。そんな情熱が、今の私にはないんだ。これからは、3人の子供や家族、それに私の会社のために、残る時間を費やしたい」と引退の理由を語っている。

 直接の引退のきっかけは、今年のマスターズと、チャンピンズツアーへの参戦だ。

 マスターズでは86、80で予選落ち、その直後に50歳になったことから、シニアのチャンピンズツアーにも挑戦したが、こちらは最下位に。これで諦めが付いたようで、シニアは1試合だけ参戦しただけでスペインに帰国。

「アメリカから帰ったときに、引退をする時期だと判断した」とか。

「頭ではもう引退すべきだと分かっていたが、心ではもっと競技ゴルフを続けたいと願っていた。その葛藤で随分悩んだが、結局、プレーヤーとしての人生で、もっとも難しい判断に結論を出した」とカーヌスティでのインタビューでは、むしろすっきりした表情で引退を宣言したのだ。

 ただ、結論に至るまでは、実際に相当悩んでいたようで、スペインのテレビでは、自殺を試みたなどと報道もされた。

 自殺に関しては、「事実には程遠い」と完全否定したが、それほどまでに深刻な表情を見せていたことには間違いがない。

 もっとも、セベの引退といってもゴルフ界から完全に姿と消すわけではなく、今後は、ゴルフコースのデザインなど、会社経営の方に精を出す一方、「次男のミゲール(15歳)は、ハンディ3のスクラッチプレーヤー。下の娘のカルメン(13歳)もゴルフをしており、彼らのキャディやマネジャーとして、トーナメントに姿を現すかも」という。

 バレステロスのエピソードや記録については、数え上げればきりがないが、なにより、その勝ち方や負け方が印象的だった。

 アップライトな豪快なスウィング、ガッツあふれるプレー。そして、トラブルからのリカバリー。

 例えば、79年の全英オープン、ロイヤルリザムの16番の駐車場からのリカバリーショットや83年のライダーカップでの最終日、バンカーのエッジからの3番ウッドでのアプローチなど、ゴルフファンを興奮させた。

 バレステロスに影響を受けたプレーヤーは、同じスペインのJ・M・オラサバルやS・ガルシアばかりではない。

 アメリカにおけるJ・ニクラスのように、ヨーロッパの一流といわれるプレーヤーの大半がバレステロスに何らかの影響や刺激を受けているのだ。

 そうした意味でも、バレステロスの引退は、残念であるとともに、彼に感謝の念を表したい。

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