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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 7/26号
2005/7/21更新
日本テクノロジーがじんわり世界進出
バーディ・キムが使用した「関西の地クラブ」

 ツアー初優勝を全米女子オープンの大金星で飾ったバーディ・キム(韓国)。彼女のバッグに収められていたのは、家族を入れて従業員10人足らずの小さな日本の地クラブメーカーのドライバーとパターだった。

 最終日、同組のミッシェル・ウィが注目を集める中、テレビ中継でバーディに声援を送り続けたのは大阪の地クラブメーカー、ヤマモトプロゴルフショップ社長の山本稔夫氏だった。

「2カ月前に韓国の知人を通じて頼まれたのでクラブを送ったが、まさかブルーパワーを使ってメジャー大会に勝つなんて思いもしなかった」と驚きを隠せない。

 トレードマークでもある鮮やかな青色のシャフトとパターグリップが画面に映し出されると、「ひょっとしたらウチのクラブを使ってくれているのかも」と思ったが確証はない。

 そうこうするうちに知人から立て続けに「あれ、オタクのクラブやないの」と電話が入りはじめたが、それでも半信半疑。ようやく確信できたのは夕方4時近くになって、韓国からお礼の国際電話を受けたときだった。「名前は変わっていましたが、すぐにあのときの子だとわかりました」

 山本氏の脳裏には8年前の情景が焼きついていた。当時、高校ゴルフ連盟は韓国との相互交流を積極的に進め、互いの大会に選手を派遣し合っていた。

 その中で世話役を務めていた飯島敏正氏と旧知の関係で、韓国へ試合観戦に同行したり、韓国の選手や関係者が来日した折には土産代わりにクラブを寄贈したりしていたのが山本氏だ。

 バーディ・キムが、飯島氏に誘われて、大阪淀川区の山本プロゴルフショップを訪れたときは、まだあどけなさの残る15歳の中学生。

「無邪気というか純真な子供らしい子でしたね。お父さんに向こうへ行ってなさいといわれると素直に従っていました。さすがに儒教の国らしく厳しく育てられているなと感じた程度」

 このとき持ち帰ったクラブセットが後のメジャー優勝に結びつくとは居合わせた誰もが夢にも思わなかった。

 2000年にプロ転向したバーディは、01年からフューチャーズツアーに参戦。04年には米ツアーに昇格したものの賞金ランク160位、予選会から勝ちあがった今シーズンも全米女子オープン前週まで13試合中予選落ち7試合と実力を出し切れずにいた。

  「娘の不調はパッティングが原因」とバーディの父親から相談を持ちかけられたのは、自身もスクラッチプレーヤーで韓国ゴルフ界業界の有力者である金南雲氏。

 日韓のジュニア交流を通じて山本氏と知り合い、ブルーパワーの品質と山本氏の人柄に惚れ込み、この春、ソウルにブルーパワーを扱う専門ショップまでオープンさせた人物だ。「そんなにパッティングが悪いなら、このパターを使えばいい」

 金氏は自分も使っているピンタイプのブルーパワーBP2パターをすすめた。そして、4月上旬には金氏から山本氏のもとに国際電話が入った。「アメリカにクラブを送ってやって欲しい」

 金氏のたっての依頼。急遽組み上げられたドライバー6本、フェアウェイウッド3本、ロブウェッジ6本とパターが、バーディの手元に届けられた。シーズン中にもかかわらず大事なドライバーとパターを躊躇なく替えられたのは、8年前の良いイメージが残っていたからだろう。

 全米女子オープンでは、最終18番の奇跡的なチップインバーディがクローズアップされているが、本当の勝因は、女王アニカ・ソレンスタムさえも苦しめた難コースを4日間3オーバーで乗り切った堅実なプレーにある。

 そして、遠く日本から届いたばかりのニュークラブと国境を越えて奔走した人々の見えない力が、少なからず彼女を後押ししたことも間違いない。

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