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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
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週刊ゴルフダイジェスト 7/6号
2010/6/25更新

「師匠の形見で落ち着いた」
植田がツアー初優勝をシニアで挙げた

 今季10試合が予定されている国内シニアツアーの開幕戦「スターツシニア」(6月11日~13日、成田GC)は、59歳の髙橋勝成と51歳の植田浩史がともに13アンダーで並びプレーオフに。1ホール目で髙橋が1メートルのパーパットを外し、植田がレギュラーツアーも含め、ツアー初優勝を飾った。


レギュラー時代から優勝がなかった植田が、ツアー初優勝
 

 プレーオフを制した植田が、ポケットからそっと取り出し、報道陣に見せたのは、1本のグリーンフォーク。
「これがあったから、師匠と一緒に戦っていたような気持ちになれました。心の支えになって落ち着いてプレーできました」
と目に涙をためながら語った植田。

 その師匠とは、4月22日に肝臓ガンのため70歳で亡くなった河野高明だ。

 近畿大学でゴルフ部の主将を務めていた植田は、卒業に際して関西アマで2勝しているトップアマでもあった監督の塩田昌男氏から「河野高明に師事するように」と命じられ、河野門下生の1人になった。それから師弟の関係が続いていた。

 河野が治療のため秋田県の玉川温泉に滞在し、そこで病状が悪化して秋田県仙北市の病院で亡くなったのだが、その温泉療養の段取りすべてを行ったのが、植田だったのだ。
「かえって死期を早めてしまったのではないかと、悔やんだりもしました」
という植田だが、弟子の心遣いは格別の餞(はなむけ)になったはずだ。

 納骨を前に河野の家を訪れ、長男の河野高幸氏から「試合に一緒に連れて行ってください」と託されたのが、師匠の河野が生前愛用していたグリーンフォークだった。

 植田は7回目の挑戦で1985年にプロテストに合格。1989年には埼玉オープン、栃木オープンの優勝で裏シードを獲得したことはあるが、ツアー優勝なく1994年のゴルフダイジェストトーナメントで2位になったのが最高位だった。それを期に「勝つまでは飲みません」と、好きな酒を断ち、15年もの間、守り通したという律義者でもある。

 しかし、2001年を最後に競技生活を中断、日本プロゴルフ協会のトーナメントディレクターに転進。その後、2006年にプロ活動を再開したものの、目立った成績は残していなかった。

 昨年、予選会5位の成績でシニアツアーに参戦し、賞金ランク15位で今季のシード資格を得た。
「トーナメントディレクターをやっていたので、ピンの切り方など運営側の戦略が見抜けたのが役に立ちましたかね」 としっかり経験を生かすしたたかさもある。「この優勝でお酒も解禁です」と植田。これぞ本当の美酒だったのではないだろうか。

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