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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 7/20号
2004年更新
全英、全米の両オープンに続く歴史を持つ
フランスOPで地元選手が35年ぶりに優勝
 ジャン・フランソワ・ルメシー(40)が、フランスオープンで優勝した。と言っても、日本のファンには、ピンとこないかもしれないが、この優勝、フランスのゴルフ界では、ちょっとしたニュースとなっている。

 もちろんルメシーが、2位に7打差という今季最高の大差をつけて優勝したことも話題になったし、2日目までルメシーと並んでトップに立っていたI・ウーズナムが、最終日75を叩いて7位に終わったことも注目を集めた。そして「数年前だったら、自分がこの試合に勝てるなんて想像もできなかった」とルメシーが語るように、99年にエストリルオープンに優勝するまで、なんと12年連続でQスクールからシードを獲得していた選手の遅咲きの栄誉を祝福する声もある。しかし、なんと言っても今回の優勝が注目されているのは、フランスオープンで地元フランス人選手が優勝したのが、実に35年ぶりの出来事だからだ。

 たとえて言えば、日本オープンのタイトルを、外国人選手が独占し続け、35年ぶりに日本人が勝ったようなものと言えば、どれくらい注目度が高かったのかわかりやすいかもしれない。しかも、フランスオープンは、1906年に第一回大会が開催され、プロが参加する競技としては、実は全英、全米オープンに継ぐ歴史を誇っているのだ。

「信じ難いほどのプレッシャーだった。自分にとっては、メジャー競技以外でこれほどビッグな試合はない。そんな試合に勝てるなんて……」と、1969年のフランス人勝者、ジャン・ガライアルドからトロフィーを渡されたルメシーは感激を言葉にしていた。

「出だしのダブルボギーで、逆に気が楽になった」とルメシーは語るが、それほどフランス人が、この試合に勝つことを待望されていたといえるだろう。

 フランスというと、ゴルフとは無縁の国のように思われがちだが、同国で最初にゴルフクラブが設立されたのは、1854年のこと。当時の大英帝国支配下以外の国では、最初の国ということで(インドのロイヤル・ボンベイクラブは1842年、アメリカのセントアンドリュースは1888年)、伝統からいえば、アメリカを上回っている。もし、フランスでゴルフが大きく育っていれば、このフランスオープンが、テニスのようにメジャー競技のひとつになっていた可能性も十分にある。

 フランスが輩出したゴルファーといえば、1907年の全英オープンに優勝したA・マッシーがいるほか、なんと言っても有名なのは、シモンヌとキャサリン・ラコステ親子だ。「ワニ」のマークで有名なラコステの創業者親子で、シモンヌのほうは、1927年の全英女子アマ優勝者。娘のキャサリンは、アマチュアとして、67年の全米女子オープンに優勝、さらに69年には、全英、全米両女子アマを制している。最近では、全英でのジャン・バンデベルデの悲劇は記憶に新しいところだ。ただ、こうした選手がいるにもかかわらず、フランスでは、最近まで、ゴルフが一部の金持ちのスポーツに止まっていたことから、ゴルフが大きく発展することもなかったようだ。

 10年前には、フランスのゴルフ人口はわずかに7万人で、ゴルフ場数は150。しかも、その半数が、ニースなど南仏のリゾート地に集中していたのだが、現在では「400コースを超え、欧州ではアイルランドに継ぐ勢いで急激に増えている」とか。

 こうしたゴルフの発展が遅れたという事情のため強い選手が現れず、35年もの間、ナショナルオープンのタイトルが、S・バレステロス(4回優勝)やN・ファルド(3回優勝)といった外国人に持っていかれてしまっていたといえる。逆にいえば、近年、ゴルフが普及し始めていただけに待ち望まれていたのが、ナショナルタイトルのフランス人による奪還ということだったのだろう。

 今回のルメシーの勝利をきっかけに、フランスのゴルフ界では、熱くなり始めたゴルフ熱に火がつくことを望んでおり、だからこそこの優勝に対する注目度も高くなっているのだ。

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