ゴルフダイジェスト出版案内>ゴルフ野性塾SP

ゴルフ野性塾スペシャル
No189...才能と可能性...(3/26)

パットのセンスがない・・
塾長はパッティングで凄く悩んできるようですが、小生もまったく入らなく悩んでいます。よくアプローチやパッティングの上手、下手は天性によるもの、といいますが、塾長はどう思われますか? 天性のものなら練習なんてしてもしなくても同じですよね。また練習すればある程度はカバーできるんですか? 最近小生はセンスがないんだ、と落ち込んでおり、ペンをとりました。

(茨城県・37歳)


才能はある。必ず ある

でも、の一言で片付けるのは簡単。口では、人間の体、一言で片付けられる程、簡単には出来てない。

どっかに埋もれてる能力ってあるものだ。表に出てる能力よりは埋もれた能力の方が遥かに大きいと思う。地球の持つ能力と同じでしょう。

今は何の使い途もない道端の石っころでも、科学発展すれば石の持つ何かが資源と変わる事もあり得る。科学の発展を待たねば使えない資源は多いはずだ。現在、資源として使用してる石油にも、使えてない石油の資源能力はあるだろう。科学で石っころは変貌するやも知れぬ。その科学作るのは人間。

遠い眼で眺めれば人間も石っころ。どこかでボッ、と変わることもある。人間世界、石っころと思われてた才能が科学を作る可能性はあります。

人間を才能の一言で片付けるのは、人間の傲慢さだ。これ程の傲慢さはない。ジュニア塾生を見て、そう思う。

運動能力無し、学校も本人の周りも評価していた子がいる。本人は走るのが遅く、動きの反応鈍い故、その評価を正しいものと思っていた。

塾に入れた。今、世間はその者を日本ゴルフ界を変え得る天才と呼んでいる。私は諦めない。愚鈍と断じられた子でも掘り起こしてやれば何かが出て来る。それがジュニア塾を開塾して4年と8カ月で分かった。

私は才能の一言で人生の方向を変えられる領域に住んで来た。プロスポーツの領域ってそうだし、物書きの領域もそうであった。

でも、鈍の人間、才能無き人間の烙印押された者が驚くべき仕事をしたことはある。人間の能力をなめてはいかん。なめりゃ、自分がなめられる。

貴兄は己の才能の無さに落ち込んでおられる様子。その落ち込みは無用。工夫しなさい。2メートルを徹底的に練習してみればよい。3メートルでもよい。50センチでもよいだろう。どこかの距離で貴兄は変わる。

パッティングは距離を持たねばならぬ己の能力の扉を開く距離だ。パッティング巧者と言われる人は、己の距離を持つ。その距離からパッティングの領分に踏み込んで行った。10メートルの人もいれば、30センチの人もいる。貴兄には、その距離がない。

石っころの才能を石油以上のものとする工夫を作れ。努力せよ。距離を見つけることだ。

遠い眼は要る。遠い眼で眺めれば、人間のやってる事を才能の一言で片付ける様な、傲慢な態度は取れないだろう。

それを人類愛と言った者がいる。それこそ、大馬鹿野郎の論理。人類愛で片付けようとする傲慢さにはヘドが出る。

努力せよ。埋もれた何かが顔を出す。自分には才能が無いんだ,のセリフ、口に出すな。出してはならぬ

貴兄には何かがある。埋もれてるものがある。見つけ出せ。貴兄をパッティング巧者へと導く距離を身につけよ。


野生塾トップへ戻る