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ゴルフ野性塾スペシャル
No136... 己の無知が口惜しい...(3/14)

優勝はそんなに難しい?
塾長のショートスウィング理論、さっそく練習に取り入れさせていただいております。塾長のゴルフ理論、またジュニア塾生の戦績などから見て、塾長は超一流のプロだと思います。しかしそんな塾長も失礼ながら日本のツアーでは未勝利。トーナメントで優勝するということは、それほど難しいことなのでしょうか。現在の塾長の年齢、お立場から、ふりかえってみてどうお考えになりますか。

(埼玉県 27歳)


気構えで負けていた

難しかった。一に、気構えで負けていた。予選通過ばかりを考えていた。ゆえに、いつも予選通過ギリギリのスコアになって行った。

今なれば、その様な愚は犯さぬ。

私がツアー界に挑んだのは昭和51年、春のシーズンからでした。28歳の時。その頃、ゴルフ専門誌を読んだ。理屈が述べてあった。予選通らねば、優勝のチャンスもない、と。プロは全員が予選通過を考えてプレーしている、と。

特に選手レベルの高いアメリカツアーでは、予選通った者全員に優勝できるチャンスがあるのだから、彼等は予選通ることを常に考えている、と。

単純な頭で読んだ。そして、単純に納得した。成程。今にして思えばド素人のへ理屈である。それを信じた私は、やっぱりド素人近くのゴルファーだった。

今は断言出来る。予選通ることを考えている者は予選通るレベルでアップアップしているばかり。優勝する者、優勝競る者は予選通過なんか考えちゃあいない。思考の位置が違う。

口述もせず、ゴーストライターに頼ることもせず、日本ゴルフ界唯一書けるプロゴルファーが言うのだ。間違ってはいない

ゴルフ記者の思考レベルの低さがド素人論を正論にしてしまった。プロゴルファーは言葉による表現力を持っていない。フィーリングを言葉に変える事が出来ない。

レッスンも同様。レッスン取材した時、余りの言葉の少なさにどうやって与えられたページを埋めるか、と担当者は頭を抱える。プロの口から新しいものなんぞ、出やしない。

フィーリングには新しい、その者の独創部分が沢山あるのに、言葉で表現出来なきゃ宝の持ち腐れ。出るはこれ迄と同じゴルフ慣用句ばかり。結局、編集者や記者の技量レベル、ゴルフ常識程度で構成されてしまう。しなけりゃ、頁が埋まらない。

読者はプロの技術を読まされているのではない。記者のゴルフを読まされているのです。プロと記者の間には、言いたいこと、聞きたいこととの段差があるのだけれど、分かっていても埋められない。

そうなると、ハンディ20の記者に20よりズーッと上手いアマが教えを乞うている様なものだ。

記者は嘆く。プロの表現能力の無さには泣かされています、と。それ以上に、信じきって読むアマの方はお気の毒。皆、気の毒なのだ

そのお気の毒に遭遇したのが22年前の私。予選通ることを第一と考えた。予選通るレベルの戦い様となった。勿論、人の責任ではない。総ては無知なる私の責任。流プロは頭の中が三流。一流プロの下にいれば、少なくとも頭の中は一流になって行く。

予選通ることを考えてプレーせよ、なんて愚考を一流プロは持っていない。知識、知恵は超一流から学ぶべきだ。プロは文字から知恵を学ぶべきではない。直接人より学ぶべきだろう。一匹狼の強さは、常識や世論、風潮、流行に犯されていないところにある。

私はジュニア塾生に伝えている。読むのならば私の書いたものだけ。見るのならば超一流のスウィング写真のみ

私の書いたものに人の手は一文字たりとも入っていない。少なくとも、生涯1勝の三流と四流の間のプロのレベルを伝えてはいる。そこが大切なところだと思う。

超一流プロのレッスン特集が組まれているとしよう。フィーリング部分は消えている。そこが大切なのに、フィーリング部分より逆にたどればそのプロのスウィング理論に辿り着けるのに、最初からフィーリング割愛。根を見なきゃならないのに、根の上をブッタ切って実だけをむしり取る様なもの。

プロも気の毒。読者も気の毒。分かり易い様に、食べ易い様に、売れる様にとの思惑が面倒さを嫌う。プロの方も言葉少なきゆえに面倒臭がる面は多く、総てが薄くなってゆくばかり。

理解出来なくってもいい。そこは、フィーリング部分、書き記すべきだ。100人に1人でも理解する人がいれば、その1人の根から次なる根が伸びて行く。そこを考える人はいなかった。思考位置でした。

私は評論家といわれる人の論に対して、疑いもせずに身を寄せてしまった。私の愚であった。私はこの時から三流への道に真っしぐらのプロになっている。出会いの運なんて、良き運、悪しき運、どこにでもある。そのだったのでしょう。

今、私は賭けゴルフの出来る評論家、記者、ゴーストライターを信じる。賭けの出来ない人の書いたものは信じない。プロは賭けを好む。賞金の取り合いは賭けに近い面を持つ。ならば、賭けの出来る者同士、フィーリングの面で通じ合うところはあろう。

記者の中には賭けなんて、とんでもない、と背を向ける者が多い。だったら、どこでプロのフィーリングに近付けるとゆうのか? プロから近付くことはない。プロは近付き言葉を持っちゃいない。

賭けの出来ない人よりは、賭けの出来る人の方が遥かにプロゴルファーの心情を理解するだろう。私はそう思う。

勝つのは難しい。ポツリ、ポツリと己の過去に辿り行けば、ド素人のへ理屈に辿り着いた。己の無知が口惜しい。何故、信じた、の思いが浮かんで来る。その愚をジュニア塾生、周防灘研修生、長男雅樹にさせたくはない。故に必死に書く。間違えるなよ、と思って書く

22年間で知り得たもの、それは己の無知。今週、私はアメリカシニアツアーに挑む。1年後、本稿と同じ質問に答えたい。答えられる己を作りたい。

貴兄の超一流との言葉、心より御礼申し上げます。素直に喜んでいる。望みし道、違えど、このまま進むだけ。22年間の修正なんぞ、アメリカツアー1勝で出来るものだ。人は出来るもんかい、と笑う。私は笑わない

私が笑ったら、ビートたけしのギャグよりもヒドく、ピエロの笑みよりも悲しい笑いになってしまう。私は笑わないでこれからの1年を過ごす。いつの日にか、貴兄とお会いしたい。ご自愛あれ。


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