マスターズは、球聖と呼ばれたボビー・ジョーンズとその友人が1934年に始めた大会で、4大メジャーの1つ。毎年同じコース(オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ)で行われる唯一のメジャーでもある。例年、4月初めに行われるが、1934年は3月下旬、1939年は初日だけ3月、そして2020年は史上初めて11月に開催された。優勝者には生涯出場権に加え、グリーンジャケットが贈られるが、基本的にクラブからの持ち出しは禁止(優勝者のみ、1年だけ持ち出しが許される)。最多優勝はジャック・ニクラス(アメリカ)の6回。日本人プレーヤーの挑戦は1936年が最初で、2021年まで33人が参戦。過去最高位は、片山晋呉の2009年単独4位だった。2021年松山英樹の優勝は、日本人初の男子メジャー制覇であり、アジア人初のマスターズ勝利でもある。
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最高順位:全米オープン6位
1972年から2000年までの長期にわたって海外メジャーに参戦。4大メジャー合わせて計49回の出場は、日本人選手として最多。出場2回目だった1973年のマスターズでは、当時26歳にして8位に入賞。1979年の全英オープンでは10位、1989年の全米オープンでは6位となる健闘を見せた。国内ツアー通算94勝を挙げた日本ゴルフ史上最強のプロゴルファーだが、海外大会で周りが期待するほどの成績が出なかったのは、ゴルフ界の七不思議である。
最高順位:全米オープン2位
1980年の全米オープンではジャック・ニクラスと4日間同組の一騎打ちで優勝争いを繰り広げ、その熱戦は今でも「バルタスロールの死闘」として語り継がれている。結果は惜しくも2位に終わったが、1981年の全米プロで4位、全英オープンでは3度の7位の記録を残すなど、松山英樹がメジャーを制覇するまでの長い間、青木は最もメジャー優勝に近づいた日本人選手であった。メジャー大会以外でも世界を舞台に戦い、日米欧豪の4大陸すべてのツアーで優勝するという快挙も成し遂げている。
最高順位:全米プロゴルフ選手権3位
4大メジャーのすべてでトップ10入りを果たしている唯一の日本人選手。1986年のマスターズで8位。同年の全英オープンでは1打差の2位で最終日を最終組で迎えたものの、コース内でロストボールになるという不運にも見舞われ、同組のグレッグ・ノーマンに敗れてまたも8位に。1987年の全米オープンは9位、その翌年の全米プロゴルフ選手権では自身のメジャー最高位となる3位に入る健闘を見せた。
最高順位:全英オープン4位タイ
日大ゴルフ部で日本学生4連覇という前人未踏の記録を打ち立て、鳴り物入りでプロ入り。プロ2年目で出場した1982年の全英オープンで、当時の日本人選手のメジャー歴代最高位となる4位に入った。その後も幾度となくメジャー大会に参戦。小柄ながらも迫力のあるスイングと小技のうまさが、海外の選手やギャラリーからも注目された。今でも全英オープンの日本人選手最高位は倉本の4位である。
最高順位:マスターズ4位
4大メジャー最初のトップ10入りは、2001年の全米プロゴルフ選手権での4位。2008年には国内ツアーで通算25勝を挙げて永久シードを獲得し、翌2009年のマスターズでは、三つ巴のプレーオフで優勝を争ったトップ3に次ぐ単独4位の成績を残した。オーガスタ攻略のためにスイングの精度とスキル向上に努め、男子プロとしては珍しいロフトの大きいユーティリティをバッグに入れるなど、使うクラブにも最大限の工夫を凝らし、いまも進化を続けている。
最高順位:マスターズ4位タイ
希代のショットメーカーであり、海外選手にも負けないほどの飛ばし屋。世界一美しいスイングの持ち主としても注目され、2001年から4年連続でマスターズに出場。初めて対峙するオーガスタでも持ち前のショット力を発揮し、初出場の01年大会では当時の日本人選手のマスターズ最高位となる4位に入り、日本のゴルフファンを大いに熱狂させた。
最高順位:全英オープン5位タイ
2004年に米PGAツアーのQTに挑戦してツアーカードを得るなど、若いうちから海外のフィールドにも目を向けてきたる日本人プレーヤーのひとり。ゴルフのスキルもさることながら、海外でも物怖じしない精神力の強さが持ち味で、2017年の世界ゴルフ選手権「デルテクノロジーズ マッチプレー」でベスト4に入ったのも記憶に新しい。2006年に出場した全英オープンでは、3日目に66の好スコアを記録。結果5位に入る大健闘を見せた。
最高順位:全米オープン4位
米PGAツアーで3度の優勝経験を持つ丸山は、メジャー大会でも3度のトップテン入りを果たしている。1997年の全米オープンで10位に入り、主戦場をPGAツアーに移した2000年の全米オープン予選では、当時の世界最少ストロークのタイ記録となる「58」をマークしたことでも話題になった。2002年の全英オープンで5位、2004年の全米オープンで自身のメジャー最高位となる4位に入賞している。