最終更新日 2007年6月28日

EXE(2007年6月28日更新):連載/フォトエッセイ:ゴルフ・エピキュリアン(Golf Epicurean)のすすめ:快楽主義者の独断的名コース・グルメ:第17回 パサティエンポ・ゴルフクラブ(アメリカ):文・西澤 忠(ゴルフ・ジャーナリスト)
マッケンジー博士が終の棲家としたコース

 「ぺブルビーチGL」に行きたいと憧れていた頃、モントレー半島の北へ35マイルほど行けば、A・マッケンジー博士設計の名コースがあり、しかも「セミ・プライベート・クラブだからビジターを歓迎してくれる」と聞いた。え? マジ! そんな今風な流行語のまだない20年も前のことだったが、「パサティエンポ」(Pasatiempo)という音楽のように快適で耳ざわりのいいコースのネーミングにも惚れて、即座に行ってみたものだ。

 「パサティエンポ」とはスペイン語で“緩やかな時の流れ”“趣味”“気晴らし”を表す語意で、英語では“Pas-time”。なんともセンスあるゴルフ場名ではないか。

 それもそのはず、このコースを計画し、英国人設計家、A・マッケンジー博士にレイアウトを依頼したのがマリオン・ホーリンス女史だから。この男勝りのスポーツ・ウーマンは1921年全米女子アマ・チャンピオンで、ぺブルビーチ・リゾートの開発責任者だった人。プライベート・クラブの「サイプレスポイントC」(1928年開場)をやはりマッケンジー設計で創設し、翌年には誰でもプレーできるパブリックをめざしたのだ。そして、ホーリンスもマッケンジーもコース内に家を構え、愛するコースとともに暮らしたのだった。

 「ここは暑くも寒くもないし、雨は夜中しか降らないから1年中プレーできる」と、博士は朝食前にパジャマ姿で練習したり、一人でのラウンドを楽しむ晩年だったらしい。6番ホール脇の林の中にあるコテージは今でもあり、ホーリンスの家はパーティ・ルームとして利用されている。なんとも羨ましい話ではないか。

コースに撒かれた博士の遺灰

 6,511ヤード・パー70のコースは遠くモントレー湾を望むサンノゼの丘にあり、こじんまりした林間コース。しかし“マッケンジー・タッチ”と呼ばれる、強いコンター(起伏)の小さいグリーンが深いバンカーに守られている難コースで、球聖ボビー・ジョーンズがプレーした時にはどんなスコアだったのだろうか? と思ってしまった。

 というのも、コース開場の日、エキジビション・プレーでジョーンズはホーリンス女史、G・コレット(全米女子アマ)、C・トーレー(全英アマ)などアマ名手とラウンドしたことがあるのだ。1929年9月8日は「ぺブルビーチ」で全米アマ選手権が開催されていた週で、この翌年にグランドスラムを達成する優勝候補のジョーンズが1回戦で敗退するという大番狂わせがあったからだった。20世紀を代表するアマ名手の空白の一日だったのだ。

 ちなみにマッケンジー博士の愛したホールは16番ホールで、スコア・カードの表紙にフェアウェイでプレーする博士の姿が描かれている。博士は英国の故郷にある「リドGC」ではアベレージ・ゴルファーだったが、ジョーンズと「オーガスタナショナルGC」を共同設計することになって交流するうちにレッスンを受けたのだろう、70台のスコアでラウンドするほど上達していたらしい。

 南半球を旅してコース設計をし、カリフォルニア州に来た時の博士は57歳。それでもこの州だけで10コース以上を誕生させるほど精力的な活躍だった。それはR・ハンター(『リンクス』の著者で社会学者・設計家)やC・イーガン(全米アマ・チャンピオン、博士の設計パートナー)など良き友に恵まれたお陰だった。

 ヒルダ夫人と再婚し、設計の合間に設計論の著作に耽る日々は充実していたことだろうが、米国経済を脅かした大恐慌のために、デザイン料の不払いに遭って家計的には不遇だったらしい。そして、「オーガスタ」をジョーンズと設計し、『The Spirit of St. Andrews』の原稿を書き溜めた後、1934年1月6日、博士は冠状動脈血栓症で亡くなってしまう。前年暮れのパーティで、キルトを穿き、手に酒のグラスと葉巻を持って、スコットランド人を気取っていた時に倒れ、新年を迎えた直後のことで、63歳だった。

 設計論の原稿がこの騒ぎで紛失され、義理の息子、レイモンド・ハドックが発見して出版に漕ぎ付けたのは博士が死んで61年後のこと。

 6番ホールをプレー中に、ちょっとわき道に入ってコテージを覗いてみたが、古びた木造の牛小屋のようで博士を偲ぶものはなにもなかった。今なら、クラブ・ハウス内に“マッケンジー・バー&グリル”があって、あのキルト姿で目つきの鋭い禿頭の博士を思い浮かべながら、スコッチを飲めるはず。

 なにより興味を引かれた話は博士の遺灰がコース上に撒かれたというエピソード。僕も死んだら、ホーム・コースの見晴らしの良いバンカー内に遺灰を埋めて貰おうと、自分勝手に決めたのだった。


写真:宮本 卓

西澤忠 1941年、横浜生まれ。早稲田大文学部卒業後、(株)ゴルフダイジェスト社に入社。
月刊、週刊「ゴルフダイジェスト」誌、隔月刊「チョイス」編集長を経て、1996年にゴルフ・ジャーナリストとして独立。ゴルフは『メイプルポイントGC』のハンディ7。
訳書に『コースに恐怖を持ち込んだ男、ピート・ダイ』(小池書院刊)がある。
『週刊ダイヤモンド』誌で「日本のベスト・コース150」、「世界の名ホール探検」などを連載。
日本ゴルフ協会広報参与。関東ゴルフ連盟広報委員。
 
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