最終更新日 2006年12月13日

連載/フォトエッセイ:ゴルフ・エピキュリアン(Golf Epicurean)のすすめ:快楽主義者の独断的名コース・グルメ:第6回 ザ・グリーンブライヤー(アメリカ):文・西澤 忠(ゴルフ・ジャーナリスト)
「グッド・モーニング、サー・ニシザワ!」

バージニアは山の州である。アパラチア山脈が南北に走るアメリカ東部のバージニア州で、第1回プレジテンツ・カップが開催されたのは1994年だった。歴史あるライダー・カップに出場できない欧州以外のツアー・プロとアメリカ・チームによる隔年開催の対抗戦が誕生、「R・T・ジョーンズGC」で開催されたのである。20世紀を代表するコース設計家、ジョーンズ・シニアの名を冠したコースは湖を見下ろす丘陵に展開する。18ホールが変幻自在で、設計したシニア本人も車椅子ながらまだ元気な姿を1番ティに見せていたものだ。ジョンソン元大統領のコイン・トスで始められた試合はフレッド・カプルスの大活躍でアメリカ・チームの勝利で幕を閉じた。試合後、その足で隣りの州、ウェスト・バージニアにある「グリーンブライヤー・ホテル」を目指した旅だった。

歴代大統領が夏の避暑にくるから“サマー・ホワイトハウス"と呼ばれるリゾートは200年以上の歴史があり、18ホールが3コースあると聞いたからだが、ホテル正面玄関が本当にホワイトハウスのソックリさんで驚いた。

巨大なリゾート・ホテルは802室、ロビーだけで10箇所もあるので、従業員は厨房のスタッフを入れると600人以上いると聞いて、また驚いたもの。予約を入れておいたからだろうが、玄関で迎えてくれたドアマンが踊るような仕草でクルマのドアを開け、「ウェルカム、サー・ニシザワ!」と言われて、また驚いた。以来滞在中にこのドアを通る度に「グッド・モーニング、サー・ニシザワ!」と声をかけられる。聞けば、親子3代に渡ってこの仕事についている黒人スタッフはこの仕事にプライドを持ってやっているのだと納得した。独りで寝起きするには広すぎるアール・ヌーボーの部屋で目覚めると、窓の外はミルク色の朝霧で、ゴルフに出かける頃には晴れる。コーヒーを片手に持って、クラブ・ハウス行きのバスに乗ろうとロビーを通ると、そのドア・マンが満面の笑みで戸を開けてくれる。すでに長期滞在客のような気分にさせてくれるのだ。

自然児サム・スニードの後ろ姿

3コースのひとつ、「ザ・グリーンブライヤー」(シス・レイナー設計、1924年創設)は、ジャック・ニクラスの手で改造され、1979年にライダー・カップを開催した。深い森の中の静かなコースで、温泉(スプリングスの地名の通り)が湧くことから分かるように、池やクリークがプレーにからむ戦略的なデザインだった。

最も古い「ザ・オールド・ホワイト」は1913年創設で、“アメリカン・ゴルフの父"C・B・マクドナルドの設計。本場セントアンドリュース大学に留学して、トム・モリスにゴルフの手ほどきを受けた伝説の男は帰国して「シカゴGC」「ナショナルリンクス」などを設計、全米ゴルフ協会の設立、全米アマ選手権初代チャンピオンという肩書きを持つ。ライダー・カップ開催コースを設計したS・レイナーは彼の弟子なのだ。つまり、ここでプレーすると、アメリカ・ゴルフ界初期のコース雰囲気に触れられるというわけだ。

とはいうものの、ニクラスの改造だから、モダンなレイアウトが随所にあり、石の壁で囲まれた池にガードされるグリーンには手を焼いた思い出がある。 ある日、プロ・ショップの前に人だかりがあった。訊いてみると、これからプロのレッスン会があり、宿泊中の者なら誰でも受けられるからお前もどうだ、という。「そのプロは今、ショップの裏の部屋で、ポーカーをやっているよ」と聞いたので、部屋を覗いてみて驚いた。プロとはあのサム・スニード(※)だったからだ!

慌ててショップに駆け込み、「Educational Golfer」(サム・スニードのレッスン書)を購入、例のストロー・ハットを被って出てきたスニードに挨拶し、サインをお願いした。「そうか、日本から来たのか。十分に愉しんでくれ」という彼に握手までしてもらった。

マスターズで裸足でラウンドしたこともあるスニードは“バージニアの山男"といわれたほどの自然児で、ここがプロ・デビューの本拠地だったのだ。ツアー82勝して2002年5月に90歳で亡くなるまで、ずっとここのヘッド・プロだった。ゴルフ殿堂入りのスターに出会って呆然とする僕に手を振って、カートの助手席にレッドリバーの愛犬を乗せたスニードが練習場へ向かう後ろ姿が今でも忘れられない。



※サム・スニード
1912年5月27日生まれ。ヴァージニア州ホットスプリングス出身。
メジャー大会優勝:マスターズ3勝(1949年、1952年、1954年)、全英オープン1勝(1946年)、全米プロゴルフ選手権3勝(1942年、1949年、1951年)、海外ツアーを含めるとトータルで160勝を果たす。


写真:Getty Images/AFLO

西澤忠 1941年、横浜生まれ。早稲田大文学部卒業後、(株)ゴルフダイジェスト社に入社。
月刊、週刊「ゴルフダイジェスト」誌、隔月刊「チョイス」編集長を経て、1996年にゴルフ・ジャーナリストとして独立。ゴルフは『メイプルポイントGC』のハンディ7。
訳書に『コースに恐怖を持ち込んだ男、ピート・ダイ』(小池書院刊)がある。
『週刊ダイヤモンド』誌で「日本のベスト・コース150」、「世界の名ホール探検」などを連載。
日本ゴルフ協会広報参与。関東ゴルフ連盟広報委員。
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