最終更新日 2007年1月31日

「完全に思い込みなのですが、自分のアイディアを活かしたらいいクラブが作れる、と思ったのです。それまで、ゴルフクラブを作ったことはないのですが、売れるクラブを作る自信がありました。で、クラブメーカーに入社しようとしましたが、全部フラレて…」
それでもクラブ作りを諦めきれずにOEMでクラブ作りも手がけていた会社に入社した。
「私がいた部署は、当時はまだ多くはなかったメタルヘッドなどクラブのパーツを卸すのが仕事で、クラブ作りをしていたわけではないのですが、入社して3ヶ月ほどしたらその部署は私1人になってしまいました。ですからクラブ作りは担当ではないのですが、上司が目を光らせているわけでもないし、もともとクラブ作りを覚えたくて入ったのですから勝手に自分でクラブを作り始めました。まぁ、勝手に作ったわけですから売れなかったらものすごく怒られたと思いますが、全部売れました」。
「29か30歳でOEMメーカーに入社して、3年半その会社にいたのですが、変な言い方ですが今の2倍の気合が入っていました。よく聞かれるのですが、なんでそんなに自信があったのかって、自分でも答えようがないのですが。当時からゴルファーではあったのですが、そんなに上手でもないし、毎週行くほどはまっているわけでもありません。2週間に1回練習場に行き、2ヶ月に1回ラウンドするくらいのゴルファーでしたから」。

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「大学では教授に名前負けだといわれましたが、理数系はまあまあ出来ました」。57年生まれ、神戸市出身。
12月には都内で開催した新製品展示会で先頭に立ち商品説明。
「勝手に作った」クラブヘッドの好調な売れ行きは、根拠のない自信に裏づけをもたらすこととなったのも自然な流れ。そんな時に運命的な出会いがあった、会社発足の1年ほど前の会社の忘年会でのこと。当時、商社のゴルフ部門にいて取引先として賢見社長がいた会社にも出入りしていた小山英嗣専務もその忘年会に出席、そのとき「初めて挨拶以外の話をしました」。
当時20歳代の小山専務と話しているうちにトントン拍子で会社設立に向けて進展。15年前の92年1月28日、神戸市三ノ宮に借りた家賃15万円のビルの5坪ほどの一室で、ロイヤルコレクションは、クラブ開発、営業という実質2人だけでのスタートだった。「ゴルフ分野に進路をとったことからして無謀なことでしたが、会社を立ち上げても経営的な苦労は、あまりしていません。というのも作ったものは、全部売れましたから」。
台湾のメーカーで製造した第1号のクラブヘッドで順調に滑り出したロイヤルコレクションは、発足半年後に出した最初のオリジナルモデル「RC」ブランドのフェアウェイウッドが、早くもヒット作となった。
「会社発足当初で、毎日の売り上げを見たら、100万円近くはありました。2人でしたから半分自分の収入みたいに勘違いしてるところがあって、で毎日祝杯。でも、それだけ売上があっても資金を回収して次の製品を開発するのに金型代はかかるし、1,000万単位の資金が必要ですから実際は、我々の給料までまわりません。会社を立ち上げてから半年間は給料なしでした。その間の生活費はそれまでの蓄えでまかなっていました。会社の屋台骨が出来たのは、RC-1がヒットしてからです」。 宣伝や流通対策にかける経費が十分にない時期。開発したクラブヘッドは、ほとんどその商品力だけでゴルフ市場にマーケットを形成、それこそ会社の柱となっていった。大学で建築を専攻、建築会社、アパレル、そしてクラブのOEMメーカーという稀有な20歳代を経てロイヤルコレクションを立ち上げた賢見社長は、年商10億円まで成長した今も、ものづくりを中心とした会社経営を基本としている。それは、会社が立ち上がった当初からの経緯を聞くと必然的なことであり、成長した理由ともいえそうだ。

練習場で試打することはあってもこの2年半ラウンドする暇がないという。