未来への扉 堀尾研仁 2009.06.18 公開

堀尾 研仁(ほりお・けんじ)
2002年より男子ツアープロのコーチとしてツアーに参戦。田島創志プロ、高橋竜彦プロらを初優勝に導く。メジャーを制覇する選手を日本ツアーから輩出することを目標に、日本ゴルフ界の発展に大きく貢献しているパイオニア的存在。
小さい頃は野球少年で高校まで本格的に取り組んでいたと言う堀尾氏。ゴルフとの出会いは高校を卒業後、語学留学した先のオーストラリア。仲間と遊び気分で行った初ラウンド中に、50ヤードのアプローチがチップインした。これがきっかけでゴルフにのめり込み、これを仕事にしようと決意した。
今振り返ればそれが長いトンネルの始まりだったと、笑いながら話す堀尾氏。オーストラリアからニュージーランド、そして日本へ戻りゴルフの腕を磨くものの、結局プロテストには合格することはできなかった。当時プロになると思い込んでいた堀尾氏は目標を見失い、心の病におかされ始めていた。今思えば診断はされていなかったが鬱病だったと言う。
「今となっては笑い話ですが、親を憎んだりもしたんです。なぜこんな大変な世界に挑戦することを応援したんだと…。自分は何をやってもダメだと自然に心も体も思って、5ヶ月間家に閉じこもったままの状態が続きました。朝起きると悲しくてしょうがない。夜が来ると何も考えなくてもいいので楽になる。それの繰り返しで、親は泣きましたね」。
そんなどん底の状態から立ち上がるきっかけになったのがやはりゴルフだった。これは堀尾氏自身の精神的な強さが根底にあったからだと思うが、鬱状態の中から道を切り開けた理由は一歩戻ってみることだったと言う。どうしても先に踏み出せないのなら少し戻ってみようと考えたのだ。中々簡単にはできないことだ。そこでまた運命の歯車が動き始める。
昔練習をさせてもらっていたコースでキャディのバイトをはじめた堀尾氏にオーストラリア時代の仲間から1本の電話があった。デビッド・レッドベター氏の所で通訳の仕事を始めると言う。それがきっかけで、その後、堀尾氏も運命に導かれたかのようにレッド・ベター氏のもとで仕事をするとこになる。
その後、2001年に独立して強い選手を育てると言う強い想いを胸に、2002年、単身ツアーに乗り込んだ。言わば右も左もわからない状態で、何か夢の足がかりをつかむべく必死になって動いた。そして運命とも言えるプロゴルファーと出会あった。それが田島創志プロだ。ここから本当の堀尾氏の挑戦が始った。


