宮本留吉の薫陶受けた茨木一門の先導者、また一人逝く
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2016/12/13号
2016/12/08更新

宮本留吉の薫陶受けた
茨木一門の先導者、また一人逝く

 関西・大阪の茨木CCで育ち、一世を風靡したいわゆる"茨木一門"の重鎮がまた一人この世を去った。木本三次プロ、88歳。

 茨木CCは神戸の廣野GCに対抗する大阪のそれとして、浪速の商人、若手実業家たちにより設立。新宿御苑にあった宮様のコースで、昭和天皇にゴルフを手ほどきしたスコットランド人、ダビッド・フードの設計(後、チャールズ・H・アリソン改修。井上誠一増設)。余談だがクラブ創設当時、会員たちで"19番ホール"として、北新地にクラブ「ぼたん」を開店。いかにも商人が集まったクラブらしいエピソードだ。

 開場時より神戸GCから呼んだ宮本留吉をヘッドとして山田弥助、木本三次、寺本金一、宮本省三、杉原輝雄らが育ち、次々と公式競技を制して、茨木一門の黄金時代を築いた。

 師匠、宮本留吉の日本オープン6回制覇や、ツアー28勝し永久シードを獲得した杉原には及ばないが、木本も関西オープン1勝、関西プロを連覇(1958、59年)している。一緒にラウンドしたことがあるゴルフ史研究家の福島靖氏は「体は小さく、トップが一瞬止まる変則的なスウィングでしたが、勝負強かったですね。紳士的で、それは宮本翁の『お行儀ようしなはれな』の薫陶を受けていたからでしょう。もっとも木本に限らず、杉原はじめ茨木一門は誰も礼儀正しかったですがね」

 後輩の杉原は競技の世界で活躍したが、木本はどちらかというと裏方的存在で関西プロたちを束ね、融和を図るリーダー的存在だった。日本プロゴルフ協会の副会長を務めたことでもそれは明らか。1987年、日本プロスポーツ大賞功労賞。02年には文部科学大臣顕彰。また昭和ヒトケタの先導者逝く。合掌。

 
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