茨木CC創立者と朝ドラ「マッサン」はゴルフ仲間だった?
 

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週刊ゴルフダイジェスト 2014/10/28号
2014/10/21更新

茨木CC創立者と朝ドラ「マッサン」はゴルフ仲間だった?

 現在、放映中のNHKの連続テレビ小説『マッサン』。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝(ドラマ内では亀山政春=マッサン)とリタ(同エリー)の夫婦の半生を描いたものだ。そこで竹鶴の生涯を調べてみると、スコットランドとスコッチウィスキー、そのつながりからゴルフとも深い関わりを持つ人物であることが浮かび上がった。

加賀正太郎

 大正、昭和期に活躍した実業家に加賀正太郎がいる。加賀証券(現在の三菱UFJ証券)の創業者としても知られるが、昭和9年創業のニッカウヰスキーの筆頭株主でもあった。専務だった竹鶴をはじめとする社員から「御主人様」と呼ばれていた人物である。

 大正13年のことだ。加賀は、そのすぐそば京都の大山崎に別荘を構えていた。竹鶴の妻のリタが加賀の子と妻に英語を教えていたともいわれ、この大山崎時代に親しくなったのだろう。

 この時期、加賀は中心人物となって、大阪である活動をしていた。大正11年、茨木カンツリー倶楽部の設立計画を立案。翌12年には社団法人の認可を得ている。さらに翌年からは同スコットランド出身のプロゴルファー、ダビッド・フード氏を招聘し、設計を委ね工事も開始した。

 さてこの茨木CCは、酒との縁も深い。今でも倶楽部内にはバーがあり、酒量消費量は国内コースでも1、2を争うと噂されるほど。同じ「クラブ」には東京なら銀座、大阪なら新地といった女性が接待する飲食店の形態がある。実はこの「クラブ」も同CCが広めたものらしい。

 日本で最初のクラブは、北新地の「ぼたん」というのが定説だが、茨木CCのバーで飲み足らなかったメンバーがお金を出しあい、19番ホールとしてのクラブを出した、というのだ。実際、ぼたんの規則は、茨木CCのものを参考にしたという。

 ともあれ酒を愛したマッサン(竹鶴)も、生前はヒッコリー片手にゴルフを楽しんだという。加賀とマッサンが一緒にプレーした記録は見つからなかったが、これほど深い関係であれば、手合わせしているかもしれない。

 
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