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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 7/27号
2004年更新
ベルーナでツアー初Vの川崎充津子は
「目立つのが嫌い」な超天然地味系!?
 女子ツアーは人材豊富!? 今季4人目(開幕戦の宮里藍のプロ初Vを数えれば5人目)の初優勝者が生まれた。川崎充津子、27歳。この人、ずいぶん変わったタイプの“地味系”プロゴルファー、なのである。

 不動裕理が全米女子オープンに遠征、その間隙を縫って獲得賞金差を少しでも縮めておきたかった宮里藍が疲労蓄積で発熱のため欠場、さらには前週優勝の藤井かすみも気管支炎による咳が原因でギックリ腰になり出場できず……と、主役級選手を相次いで欠く不運に見舞われて初日が始まったベルーナレディース。それだけ優勝争いの常連が減ったこともあり、最終日最終組は3人全員誰が勝っても初優勝、首位から4打差までには16人がひしめく大混戦になった。

 そんな中、3打差5位タイから最終組の2組前でスタートした川崎は、長いバーディパットを決めまくって単独首位でホールアウト。最終組のひとり、表純子が17番で追いついたが、最終18番、川崎の目の前で3パットボギーを叩き、プレーオフにもつれ込むこともないまま、川崎の初勝利が決まった。たいていの初Vシーンには、涙がつきもの。が、川崎は涙ぐむこともなく、かといって驚くそぶりを見せるでもなく、ただ普段と同じ表情でギャラリーの歓声に頭を下げた。

「表さんとは前の日に同じ組で回って、すごく“パッティングが上手いな”と思ってました。だから、きっとプレーオフになるんだと思ってた。自分の優勝が決まった瞬間ですか……? あー、勝っちゃった、と思いました」と川崎。一世一代、とも言うべきシーンの一部始終を「別にドキドキすることもなく、落ち着いて見てました」と、淡々と話した。

 1976年9月9日、宮崎県宮崎市生まれ。9歳のとき「実家の理容店のお客さんに勧められて。……柔道や剣道など痛いのは嫌だから」と始めたのがゴルフだった。当時から同じ九州の同学年には不動がいたが「ライバル? いいえ。不動さんは当時からぜんぜん私なんかとは違いましたから……。もう別格、という感じで、ライバルだなんて思ったことないです」。

 宮崎西中3年の91年に全国高校ゴルフ選手権春季・中学生大会で優勝しているが、これも本人に言わせれば「本当は11打差もつけられて2位だったんです。トップの選手が失格して……繰り上げ優勝なんです」と言う。

 私立宮崎女子高卒業後、兵庫・オリエンタルGCに入社して長友謙プロに弟子入り、2年後の97年、プロ入りを果たした。

「私、小さいときから人前に出るの好きじゃないんです。目立ちたくない、っていう気持ちがいつもあって……。優勝インタビューもちょっとイヤでした」。

 表彰式後の共同記者会見でも、川崎のか細い声に報道陣が近づくにつれ、インタビューの輪が一気に小さくなったほど。

 初V後、いちばんしたいことは? の質問には「とりあえず家に帰って洗濯しないと」と真顔で答えた川崎。周りが爆笑しても、その顔は困ったように、視線は宙を泳いだ。

優勝したら何か変わるんですかねぇ? 周りの見方が? ……私でも、そうなるんですかねぇ」と、その“非凡さ”が、かえって今後の未知の活躍を予感させる!? のだ。

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