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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 11/26号
2002年更新
青木、海老原の出場で久々に盛り上がった
日本シニアOP制したルーキー福沢の横顔
 “我孫子流”という言葉に象徴されるように、幾多の名選手を輩出した我孫子GCで開催された今年の日本シニアオープンは、4年ぶりに出場した“青木功効果”も手伝って、日本オープンを上回る4日間累計1万3000人余りのギャラリーを集めた。その中で、主役の青木と、今季欧州ツアー賞金王に輝き地元でホスト役の海老原清治をそれぞれ2位、3位に従えて栄冠を手にしたのはシニアルーキーの福沢孝秋だった。

 今年8月に満50歳を迎えた福沢は、この日本シニアオープンでシニアツアー3戦目。「どうも先輩プロたちに気を遣ってしまって、遠慮みたいなものがありました」(福沢)と、これまで実力を発揮できなかったが、3戦目でシニアの水に慣れたのか、2日目まで通算4アンダーと首位に立った。

 2サムのプレーとなった決勝ラウンドでは、3日目に最終組で青木との直接対決。

「青木さんとのラウンドは初めて。やはり緊張します」と言いながらも、福沢は「自分のゴルフをするしかない」と一歩も引かず、青木と同スコアの69で回り、1打差の首位をキープ。最終日の海老原とのラウンドも青木と同スコアの70で回り、1打差のリードを守った。

 レギュラーツアー時代の97年にKBCオーガスタでジャンボ尾崎と最終日、最終組で回り2位タイに踏み止まったこともあり、大物との優勝争いを経験していたことが今回の好プレーにつながった一因でもあるだろう。福沢の武器はジャンボと打ち合っても「どちらか、いい当たりをしたほうが飛んでいた」(福沢)という飛距離だ。「レギュラーツアーは若い人がガンガン飛ばしまくっているけど、シニアは自分の力に応じて無理をしない。その辺が違いまいすね」と言う福沢だが、シニアの中では圧倒的な飛距離を誇っている。青木、海老原に対しティショットで20~30ヤードのアドバンテージが取れたことがプレーに余裕を持たせたようだ。初めてクラブを握ったときから飛距離だけは人並み外れ、「350ヤード以下のパー4なら1オンを狙っていた」というほど。“諏訪湖のジャンボ”と呼ばれたこともあった。

 しかし、「小技が弱点」というのが大方の福沢評。その「弱点」を克服したのも、今回の大きな勝因で、「このコースで練習して、グリーンの速さに対応するには、自分流の、フェースを被せてガツンと打つアプローチはダメだと思い、柔らかく打って転がすアプローチを多用することにしたんです。これが4日間有効に働いてくれましたね」(福沢)

 塚原天竜高校(長野県)時代は野球部に籍を置き、キャッチャーで4番打者。卒業後はTEACに入社し、社会人野球を続けたが、2年で限界を感じて退社。たまたま父親が勤めていた鉄工所がゴルフ練習場をオープンし、そこでアルバイトを始めたのがゴルフとの出会いだった。

 22歳で諏訪湖CCに事務職として就職し、一時、名古屋の和合に移り、再び諏訪湖CCに戻って、80年、28歳のときに5回目のプロテストでようやく合格を果たした。シードを獲得したのは遅く、95年に賞金ランク40位で初シード。以後、97年までシードを維持し、ここ数年は専らチャレンジツアーに出場、シニア入りに備えていた。

 今季、福沢の最大の目標は米シニアツアーのQスクール突破だ。その挑戦のために渡米を予定していたのが日本シニアオープン最終日の午後6時15分の便だったが、表彰式、優勝インタビューなどで遅れ、やむなく翌朝の便に変更してアメリカに旅立って行った。1次を通過すればそのまま米国に残り、ファイナルQスクール(11月19~21日)に備えるという。持って産まれた飛距離と“我孫子で覚えたアプローチ”を駆使して米国で大暴れするのを期待したい。なお、国内シニアツアーはこれで今季6試合の全日程を終了、3年連続で高橋勝成が賞金王に。その高橋は米シニアのファイナルQスクールに挑戦、そのままスペインに飛び、欧州シニアツアーQスクール(25~28日)にも出場する。

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