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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 9/24号
2002年更新
大会直前の恩師、恩人の死が優勝を呼ぶ?
今年は塩谷、福嶋、湯原が“神がかりV”
 今季、国内ツアーでは思いがけない復活劇を始め、涙を誘う感動的な優勝シーンが多い。中でもゴルフ5レディースの塩谷育代、NEC軽井沢72の福嶋晃子、そして久光製薬KBCオーガスタの湯原信光は、誰もが拍手を贈る感涙モノの優勝だった。そこには共通して「恩人の死を乗り越えて」という、万人の胸に響く要素があったからだ。

「(5日前の)葬儀のときに必ず優勝してみせますと誓ったことが、こんなに早く実現できるなんて……。全ショットに(会長の)後押しがあった。ずっと付いて見ていてくれていたんだと思います。(20メートルのパットが入った)4番なんて、私ひとりがやったんじゃないでしょう」と塩谷は優勝インタビューで溢れる涙を何度もぬぐいながら語った。89年から所属する伊藤園の故・本庄正則会長は、彼女が「もうひとりの父親」と呼ぶほどの恩人。その恩人が大会直前に急逝。深い悲しみの淵にいたうえに、ゴルフの調子も2週連続予選落ちというドン底の状態。にもかかわらず、優勝したのである。そこに彼女が神秘的な力を感じたとしてもうなずける。

 福嶋の場合も、常識的には優勝できる状態ではなかった。足の指の骨折による1カ月半もの長期休養明けで、ケガの回復も万全ではないうえ、その大会前日に飛び込んできたのが、心から慕う高橋健次氏(アイスホッケー・日光アイスバックス元GM)の訃報だった。集中力が切れて当然の状況にもかかわらず、「昨年はピンの後ろに(高橋)健さんがいた。それを思い出しながら打ったら、昨年と同じようにベタピンについた」と振り返るように、苦境が不思議と好結果につながった。

 湯原も、大会初日に恩師・竹田昭夫氏(日大ゴルフ部監督)の逝去の報に触れながら悲しみの中で大接戦を制した。ふたりはかつての子弟という関係だけではなかった。湯原が3年前にヘルニアを患い、2カ月の入院を強いられ、入院中は、歩行はおろか痛さに夜も眠れず、15キロもやせるという厳しい闘病生活だった。その彼を訪ね励ましたのが、同じ病院に通う竹田監督だった。「俺も頑張るから、お前も頑張れ!」と励まし続けた監督のことを思い出すと、大勢のギャラリーを前に、湯原は涙を抑えることはできなかった。

 実は、こうした「恩人の死」の直後に、悲しみを乗り越えて優勝した例は過去にも多い。

 有名なところでは、95年のマスターズ、試合4日前に恩師ハービー・ぺニックを失ったベン・クレンショウ。昨年の全米女子プロでは、ゴルフの手ほどきをしてくれた祖父が大会期間中に倒れ、危篤状態が続くなか、カリー・ウェブが制した。ともにウイニングパットを決めるや、涙を頬を伝うというとても印象的な優勝だった。

 恩師ではないが、91年日本シリーズでは、大会前日に父親を亡くした尾崎直道が、兄弟でひとりだけ試合に臨み、2位に8打差をつける圧勝を果たした。このときも信じられないプレーの連続で「自分の力以外の何かの力が加わっているように思えた」と直道は振り返っている。それにしても、「恩人の死にもかかわらず……」というのが正直な思いである。

 臨床心理学者の市村操一氏は「そのときの精神状況、結果的にプレーに集中できた仕組みは、それぞれ状況が違うので一概にはいえませんが」と前置きしながら「ひとつ言えるのは、恩師の死によって、恩師という心の重石が取れて自由になれた。本当の自分になれたというケースは、あるかもしれませんね。とくに親子の関係では、親という重石や拠り所がなくなって、初めて自分らしく生きられるようになるということはあります」と分析。

 実際に厳父が亡くなった翌年から急に強くなり、賞金女王を争うまでになった国内の女子プロの例もあるそうだ。死してもなお影響を与える“恩師”とは何とも計り知れない存在である。

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