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週刊ゴルフダイジェスト「BACK9」の内容を、バックナンバーとしてほぼそのまま転載しています。
内容は紙雑誌掲載当時のものですので、詳細の状況等は変わっている場合があります。ご了承ください。

週刊ゴルフダイジェスト 9/10号
2002年更新
大会前日に亡くなった知人が“見守る”中
NEC軽井沢で福嶋晃子が2年半ぶりV!
 女子のNEC軽井沢72では、NEC所属の福嶋晃子が怪我をおしての参戦で見事な逆転復活優勝。日米両ツアーを通じて、一昨年4月の那須小川レディス以来2年4カ月ぶりのV。その裏にはこんな逸話があった。

 福嶋はいくつかのアクシデントに見舞われていた。まず右足親指の骨折。先月初め、エントリーミスのため出場できなくなった全米女子オープン週に米ツアーから一時帰国、その週末には再渡米の予定だった7月8日に「練習に行くため自宅の階段を下りる際、足を踏み外して」以前から痛みのあった右足親指を強打してしまった。練習場では普段通りにボールを打ったそうだが、その後、家に戻っての夕食の最中に激しい痛みを感じ「見たら驚くほど腫れあがっていた」と救急病院に駆け込んだ。

 全治1カ月以上との診断に、エントリー済みだった米ツアーの試合はすべてキャンセル。医師からは手術も勧められたというが、メスを入れるリスクを避け、所属会社の大会に間に合わせた。とはいえ、まだ骨にヒビの入った状態での出場だった。

 福嶋は言う。「1カ月もクラブを握らなかったことなんて初めて。必死でパッティング練習だけはしていたんですけど……。ただ、不思議なことに、不安だらけの自分が、軽井沢で“勝つこと”だけを考えてたんですよ。こんなに練習してなくて、何が優勝? って感じだけど、でも“勝つんだ!”って思ってた」

 とくに最終日のプレーは、96、97年日本の賞金女王に輝いた時の、99年米ツアーでいきなり2勝を飾った時の、強い福嶋のゴルフだった。完治していない右足、それをかばって痛めていた腰のこともあり、本人は「トレーナーから『加減するように』って言われてるのに、いつの間にか力一杯振ってしまっていた」と言うが、福嶋をよく知る周囲は「力みがとれて、スムーズなスウィングになっている。最近でもっともいい状態に見える」と口を揃えていた。

 加えて、大会前日の木曜には、福嶋が一番恐れていた訃報が流れた。99年11月、友人を通して知り合ったアイスホッケー・日光アイスバックス元社長の高橋健次氏が53歳の若さで逝ったのだ。福嶋と知り合って間もない時期に膵臓ガンの告知を受けた高橋氏は、病魔と闘いながら廃部寸前のアイスバックス存続のために東奔西走した熱血漢。お互いの心意気に惚れ込んだ2人は、年齢差や立場を超えた親友となり、福嶋は自分のファンクラブコンペで支援募金を募ったり、応援コンペにゲスト出演したりしていた。

「健さんに、もしもの時が来たら、私は米国からでも絶対に駆けつける」。日頃そんなふうに話していた福嶋。軽井沢前週の金曜に危篤の知らせで宇都宮の病院を見舞ったというが、「奥様が『アッコちゃんが来てくれたよ』と言ってくださると、健さんは涙を流してました」と、意識さえもうろうとした中でも高橋氏は福嶋との友情を確かめ合っていたそうだ。

「よりによって」1年間の試合の中で一番大切な、欠場を許されないホステス大会週の不幸に「プロアマ戦のラウンドを終えたところで知らせを受け、何度も栃木に向かう交通機関を調べたのですが、健さんならきっと『俺のことより試合で頑張ってくれ』って言うだろうなと思って……」覚悟の闘いとなった。

 最終日、終盤のバーディを振り返って福嶋は言った。「去年はあそこで健さんが観てくれてたんだ、と思ったらベタピンのショットが打てて」

 ちょうどその時刻に荼毘に付された高橋氏。福嶋はそのままのウェアでウイニングボールを握りしめて栃木・今市市の高橋氏の自宅を訪問したという。

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